心の目でお洋服と向き合う

ファッション

令和元年スタートしましたね。

昭和が終わり、日本中が喪に服して静まりかえった日のことをよく覚えています。
日本中から「色」が一瞬にして消えてしまったような感じがしました。それからすぐに「平成」という新しい時代がスタートして、
このあいだまでの「喪」の空気が嘘のようになくなっていく様子が当時小学生だった私には不思議でしかたありませんでした。

そう考えると今回の令和の時代は明るい気持ちで迎えることができて良いスタートだなと感じてます。

みなさんは毎日、お洋服を着た自分を鏡で見てどんな気分になりますか?
わたしはいつも「今日も自分らしい」と思って安心して出かけます。
休みの日やイベントに行く日などいつもよりおしゃれしているときは「この組み合わせ最高!」と自己満足してから出かけます(笑)。
これが「う~ん。どうかな?」という気持ちで出かけてしまうと、もう気になって仕方ありません。
人から見たらそうでもないことでも、自分では「イケてない」と思ってしまって一刻でも早く家に帰りたくなってしまいます。

毎日おしゃれしなくてもいいんです。「自分らしい」と安心できるスタイルをみつけられるとそれだけで1日のスタートがぐっと明るくなります。

さて、ここに古い写真を載せました。
この世の終わりのような暗い顔をした女の子は、そう、2歳半の私です。
保育園の入園式の朝に自宅前で撮った写真です。本来なら晴れやかなお祝いの日のはずですが、なぜ私はこんなに泣きはらしているのか?

この日の朝のことを私はとてもよく覚えています。そして、これが私の一番古い記憶です。

「いやーーー」
私はこのワンピースが着たくなくて、泣きながら裸で家中を逃げ回りました。母がワンピースを持って追いかけてきます。
大して広くもない自宅で逃げ切れるわけもなく、裸の私の手を取って、母が膝をついて私に目線を合わせました。
「お願いだから、今日はこのワンピースを着てちょうだい」
「明日からはズボンで行ってもいいか先生に聞いてあげるから、今日はお母さんのお願いを聞いて」
仕方なく私は、母のお願いを聞くことにしました。

兄とボーイッシュな姉がいた私は、女の子らしいものに興味がなく、一人称は「ぼく」。
スカートは絶対穿きませんでした。

そのため、入園式の日によそ行きのワンピースを着ることがたまらなく嫌だったのです。
スカートの足の間がスースーする感じが落ち着かないし、ワンピースを着ている自分がどうしても納得できない。
自分の気持ちにまったくそぐわないのです。裸で歩いているのとそう変わらないくらいの恥ずかしさでした。

そんな姿で写真を撮られて、にっこり笑うことなんてできません。
母の手作りのポシェットもひっくり返ったままです。

この後、入園式の記憶はまったくありません。

地獄のような入園式の日の晩ご飯の席で母が言いました「明日からは、長ズボンはダメだけど半ズボンならいいって。よかったね」

これで私の保育園生活はなんとかスタートしたのです。

この写真の私を見ておかしいと思う人はいないと思います。大人になった私が見てもおかしいとは思いません。
でも、当時の私の気持ちとこのワンピースはまったく一致していないのです。だから私の心の目で見ると全然似合っていないのです。

お洋服を着るうえで大切なことは自分の気持ちに正直なお洋服を着ることだと思います。
「みんなが着てるから」
「お店の人に勧められたから」
「流行っているから」
という他人軸でお洋服を選んでいるかぎり、満たされない心を満たすためにどんどんお洋服を買い続けることになります。
そのお洋服はぱっと見、似合っているかもしれません。
でも、着ている本人の心が満たされていない以上、どれだけ周りから褒められたとしても納得できないのです。

まずは、「心の目」でお洋服を選ぶこと。その感覚を大切にすることを忘れないでください。
そのうえで、そのお洋服着るシーンに合わせて、人に与える印象がどうかとか、清潔感があるかとか、良いイメージを持ってもらえるか?
といった相手目線の感覚を加味してお洋服を選んでください。

まずは、自分です。これはお洋服以外のどんなことにも通ずる真理だと思います。

この真理を私はお洋服を通じてみなさんに伝えて行きたいと思っています。

最後に、自分の気持ちにピタっと合った服を着ている、「ぼく」時代の私です。

 

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